2006年02月12日

食べられません

 小学生ぐらいの頃、今考えるとどうでも良いものをよく集めていた。

 ゲームセンターで獲得したメダル、消しゴム、筆箱、ガチャガチャの丸いケース、下校途中に拾ってきた綺麗な石、切手などだ。切手は、父親から「消印押してあるやつのほうが価値あんねんぞ」と言われ、使用済みのものだけを集めていたが、今思うとどうもうそ臭い。

 まあそれはとにかく、そういったコレクションの中で、今改めて考えてみても謎なものがあったのだ。それが、「食べられません」だ。

 せんべいや海苔の缶などに入ってある乾燥剤で、よく「食べられません」と書いてあるものである。

 確かに今になって考えてみても我ながらなぜ集めていたのはわからないが、恐らく「入手しやすく、どうせ捨てるものなので集めやすいから」という理由で集めていたのではなかったかと思われる。

 オーソドックスなものは白い紙のような素材の袋に入っているが、洋菓子などの場合は、透明な袋に水色や黄色などカラフルな「食べられません」が入っていたりする。これはビジュアル的にわりと洒落ているのだが、当時の幼い私は、なぜかこの「カラフル食べられません」があまり好きではなかった。

 また、「食べられません」は大きく分けて二種類ある。先述の「カラフル食べられません」に代表されるような完全球形タイプと、砂利のように形の定まっていない白い石灰タイプだ。

 暇な時に「実験」と称して近所の植物の葉にふりかけてみたりしたが、何の反応もないことにガッカリしたことがある。

 また、それからしばらく後に「石灰は水に濡れると発熱する」と知り、石灰タイプの「食べられません」をわざと水に浸してみたりもした。

 この「食べられません」コレクションを通じては、特にこの先の人生に役に立ちそうなものも得られたわけでもなく、何かを学び得たものがあったわけでもない。

 この経験話から今の私が言えることは、「私は少し変わっていましたよ」ということぐらいだなぁ、ということで今回の日記を終わる。
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2005年12月27日

パンダ

私は高校時代、陸上部に所属していた。メインでやっていたのは短距離だ。

本当は長距離が得意で、体質も長距離向きだったが、あえて短距離をやっていた。

理由は主に以下の4点。

1.長距離は基本的に走り込むばかりでトレーニングが単調だが、短距離は筋トレやスタート、バトンパスなどトレーニングもバラエティーが豊かそう。

2.ムキムキになりたかった。

3.小さなクラブだったので、他に長距離をやっている人が1人(女子)しかいない。

4.ジャージの背中のプリントが、長距離が「LONG」であるのに対し、短距離は「SPRINTER」と書かれていて、なんだか格好良さげだった。

そんなわけで、日々、仲間と学校から公園まで走り、公園でいろんなトレーニングをやっていた。

で、その公園にはいつも現れるオッサンがいた。オッサンのニックネームは「パンダ」。名付けたのは私だ。

なぜパンダかというと、黒い長袖Tシャツの上に白い袖なしTシャツを重ね着し、黒いズボンを履いており、どこからどう見てもパンダルックだったからだ。

パンダはなぜかいつもそのコーディネートなのである。そしていつもパンダファッションで一人黙々と野球の素振りをしていた。
パンダにしてはかなり凶暴なので、中国の人が見ると少し慌てるかもしれない。

そして我々はというと、横目でパンダをチラ見しながら公園内をぐるぐると走るというトレーニングをする。

なんだか不気味な絵が思い浮かびそうだが、もし浮かんだとしてもそれはそっと胸の内にしまっておいてほしい。

あれからもうかなりの歳月が経つが、パンダは今も元気に素振りをしているのだろうか。
そう思うと、あの日のパンダが自然と私の中に蘇ってくる。

特に大した交流や思い出もないが、パンダのオッサンはいつも私の心に住んでいるのだ。

よくわからないが、まあそういうことで今回の日記を終わる。
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2005年12月04日

玉露高校生

お茶といえば、私が高校生の頃、初めて玉露を飲んだ時に「んっ、こんなウマいお茶があるのか」と大層感動した覚えがある。

その時飲んだ玉露は急須で入れたものではなくて、伊藤園の缶入りのものだった。

「玉露」とだけ書かれた神秘的なパッケージと、他のお茶より圧倒的に少ない190mlという容量。

当時の私にとっては、コイツは一体なんなんだ?という印象だった。

しかし一度その玉露に手を出してしまって依頼、来る日も来る日も私は玉露を買い求め、制服の内ポケットに仕込んでいた。

恐らく、世界中で制服の内ポケットに玉露を仕込んでいた高校生は私一人だけだろう。

しかし恐らく、傍から見れば異様な膨らみだったに違いない。

当時私は、足首にパワーアンクルも装着していたし、まあ今さら気にするまでもないことなのだが。

そういうわけで、なんだか世にも奇妙な高校生活を少し懐かしみつつ、今回の日記を終わる。
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2005年11月14日

カラオケ

私は普段、あまり積極的に音楽に触れるような生活をエンジョイしていないので、歌そのものに触れる機会が少ない。

そういうわけで、自然と歌を覚える機会がなく、カラオケに行くとあまり上手には歌えない。

場馴れした今でこそようやく「かろうじて聞ける」レベルにまで到達してはいるが、昔は本当に酷かった。

他の人があまりに自然に歌っているのを見て、「もしかしたら私は100年に一人の類稀なるスーパー音痴ではないか」などと感じることすらあった。

で、これはさすがにちょっとマズいと気づき、数年前に「歌を覚える」という作業に着手した。

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2005年10月26日

次男の私

私は次男だ。すぐ上が長男だから次男。さらに長男の次だから次男。そして末っ子。

しっかりものの長男とちゃっかりものの次男。説教くさい長男と反発的な次男。世間的にはそういうイメージっぽいが、私のところも例外ではない。

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2005年10月24日

マッサージチェア

私は家電量販店に寄ると、たまに展示品のマッサージチェアに座る。

目的はもちろん、買うことではなくタダでマッサージを体験することにある。
反則的で不道徳ではあるが、マッサージチェアは非常に心地良く、クセになるのだ。

終わったあとは全身が驚くほどスッキリ貴理子。しかもそんなに疲れていない時でさえも、やたらスッキリする。「終わったあとでこんなに楽になるということは、自分でも気づかないほどに疲労が溜まっていたのだな」と実感するのだ。

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2005年09月26日

トラベルメイトとともに

大学3回生になった時のことだ。ゼミやら何やらで情報収集をしたり論文を書く機会が増えるとのことで、ノートパソコンを1台買った。買ったというか、後ろだてはあったのだが。

当時自宅にパソコンを持っていなかった私は、どれを買って良いのか違いがよくわからず、とりあえずWindowsなら何でも良いやという気持ちだった。

そんな時、学部・生協イチオシのノートパソコンがあることを知った。大学推薦ならなんか安心できそうじゃないか。そんな軽い理由でそのノートパソコンに手を出したのだ。

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2005年09月21日

ガソリンスタンドの店員

学生時代の話だ。
私が住んでいたアパートの前は片側二車線のやかましい道路だ。その道路を挟んだ斜め向かいにガソリンスタンドがあった。

基本的に普通のガソリンスタンドだが、そこで働いている一人のアルバイト(らしき男)がもの凄い。

凄いといっても、スタンドで命がけのファイヤーダンスをしたり、ガソリンの代わりに小便を注入したりするわけではない。声が非常にカン高いのだ。

お笑い芸人でいえばアメリカザリガニの柳原に似た、裏声もどきの声だ。
とにかく高い。響く。やかましい。
そんなカン高い声で連日、

「イラッシャイマセー!」

「ハイ、ハイ、ハイ、ハイ、ハイ、オッケーー!」

「アッリガトウゴザイマース!」

と高らかに叫ぶ。

ガソリンスタンドという都合上、客も車に乗っているので店員が声を大きくせざるを得ないのは納得だが、声を高くする必要があるのか。よくわからない。
いや、元からそういう声なのか。あるいはミュータント的な声帯の突然変異か?

ちなみに彼以外の店員の声が私の部屋まで届いたことはない。

そしていつの頃からか彼の声は消えた。

「声がカン高いということは、彼の名前は神田かい?」と、適当に締め括ったところで、今回の日記を終わる。
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2005年09月12日

バイトの面接

昔バイトの面接に行った時の話だ。
何気なく求人雑誌を広げていると、「携帯ショップでの接客」というのが目に入った。2、3日考えて、最終的に受けてみようと思い、電話をかけてみた。

電話は姉ちゃんの可愛いらしい感じの声だったということもあり、リラックスしながら面接の約束をとりつけた。

で、いざ面接。バイトといえども少々緊張しながら店に入る。「このショップで働くのか…」そう思うと自然に身が引き締まった。スタッフに案内され、奥の階段から3階まで昇る。2階は小さなオフィスっぽくなっていて、社員さんらしい人たちが働いていた。

「ショップの上はこうなってるのか」などと軽く驚きながら3階へ。社長室兼ラウンジという感じでソファがあった。案内の人に促されるままそのソファに座り、しばらく待っていると…

きた!社長だ。うさんくさそうな眼鏡をかけて、丸々肥えている。お腹がボテっ膨らんで、はち切れんばかりにシャツが伸びている。叩いたらなかなか良い音が出そうだ。

しばらく一方的に業務内容とか心構えを説明してくれた。
かいつまむと、「ウチは非常に厳しい。バイトだろうが社員と同等に扱う。そして数年後に社員になってもらおうかと思っている。だからそこらのコンビニのバイトみたいに気軽ではないぞ。」ということだ。

正直私は甘く見ていた。少なくとも求人雑誌の募集欄にはそんなこと書いてなかったし、バイト目的で来ただけなんだから携帯ショップに就職なんて嫌だぞ。
しかし落ち着け、俺。蹴るとしても内定が出てからでも遅くはない。とりあえずせっかく来たんだし、適当に頑張ってみよう。

社長の話は続く。「ウチでは職員の情報を公開し合って、士気を高めています。ですから給料明細もいつでも誰でも好きな時に見られるようになっているのです。もちろん、社長である私の給料明細も。」

むむ、なんだかとんでもないところに来てしまったようだ。ディスクロージャすべきところを完全に勘違いしてないか、とツッコミたくなったが、そこは抑えて適当に感心するフリをしておいた。

さらに社長は「私は10万円ぽっちの資本金から会社をここまで大きくした。」と続ける。それが私の採用選考とどう関係があるのかはわからなかったが、そのいかにもワンマン経営者の「どうだ、俺ってスゴいだろ」的な話に対しても私は適当に感心(するフリを)した。

社長の話はまだまだ続く。
今現在の国の借金がいくらいくらだからこれからはこういう世の中になるだろうだとか、冷戦終焉後のソ連崩壊があってその後の国際社会構造はどうなったとか、民主主義がどうだとか、社会主義がどうだとか…

もはやバイトの面接ということを忘れさせられていた。私が今ここにいる意味すらよくわからない。気がつけば、目の前にいる太鼓腹のオッサンのグダグダ話にただただ付き合わされいたのだ。

面接開始から1時間ぐらい経った頃だろうか。ようやく解放された私は、脱力感たっぷりで階段を降りる。すると2階から聞き覚えのある声がするではないか。そうだ、電話の時に聞いた姉ちゃんの可愛いらしい声だ!

それがどんな人物なのか少し気になった私は、階段を降りつつ声がする元をちらっと覗いてみた。声の正体は完全におばはんだった。しかし声だけはイヤミなくらいに若い。可愛い。ただし「声だけは」だが。まあ勝手に期待しておきながらアレなのだが、これにはさすがに騙されたと思った。

面接の結果は後日郵送での通知ということだったが、もう、内定を貰ったとしても絶対に断ってやろうと決意した。まあ社長の話を聞いた時から決めてはいたのだが、99%のものが100%になったような感じだ。

数日後、通知が届いた。なんだこの野郎と思いつつ、鼻息をあらげて封を切る。結果は、不採用だった。もう、完全なカウンター攻撃に私はノックアウトされた。

世の中の厳しさを知ったということで、今回の日記を終わる。
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2005年09月11日

ノスタルジーに浸った日

今日は選挙の投票に行ってきた。

私の地域では、投票の場所は近所の小学校になる。
そういうわけで、小学校に行く。なんだか懐かしい。そう、そこは私の母校なのだ。
特に都会というわけでもなく、一般的な住宅街の中にあって、ごくごく平凡な学校だ。

当時とまったく同じ通学路を通って学校へ行く。

おや?なんだか距離が短く感じるぞ。
思ったよりすぐ着いた。裏門ってこんなに狭かったか?

三年のときは校舎がやたら離れてて、給食当番のときに食器やら運ぶのが大変だったなぁ。

あの山の裏で一生懸命土ダンゴ作ったけど、強度実験と称してちょっと転がしてみたらすぐ割れたなぁ。

給食についてた小魚パックをポケットに忍ばせて、「食糧」と言いながらこっそり食べたなぁ。

おお、傘を破壊するためにぶつけまくった柱だ。

早朝バスケサークル、二日で辞めたなぁ。

などと軽いノスタルジーに浸りながら投票を済ませ、家に帰る。
なんかあのころ思い描いていた未来と違うけど、ま、いっか。と、現実に引き戻されたところで今回の日記を終わる。
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2005年08月30日

下り坂

高校の頃、「下り坂が嫌い」と言っていた友人がいた。
下り坂は登り坂に比べて歩くのが楽で良いはず。にも関わらず、なぜ彼はそんな楽な下り坂を嫌いだと言うのだろう。

素朴な疑問を感じた私は、彼に理由を問うてみた。すると返ってきた答えは

「だって帰りは登らなあかんからね」

なるほど。たしかに一理ある。ただ彼は、悲観論者か、現実主義者か。

彼は多分「下り坂」そのものは嫌いではなく、その先にある「登り坂」が嫌いなのだろう。
で、その本当に嫌いな「登り坂」を予感させる「下り坂」に関して嫌悪感を抱いているのではないか。

すると行きが登り坂で、帰りに下り坂になる、この後者の下り坂は嫌いかそうでないか。謎は深まるばかりだ。

では、今一度彼に問いたい。

「登り坂は好きか?」と。

なんだか頭が痛くなりそうになってきたところで、今回の日記を終わる。

<以前のコメント>
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2005年08月15日

OV進化説

学生時代にH氏という同級生がいた。
彼は学校で会うたびにある一人の女子学生の名前を出し、「あの子かわいいやんなぁ」「あの子の喋り方もめっちゃかわいいやん」「あの子と純粋に一緒に寝たい」などと口癖のように繰り返していた。
純粋に一緒に寝るとはどういう欲求なのかとツッコミたくなるところだが、それはグッと我慢だ。

そこで私はH氏に、その女子学生に惚れているんじゃないのかと訊いた。すると彼は「いや、loveじゃないねん、わかる?likeやねん」と答えた。

しかし私やその仲間たちは、H氏の女子学生に対しての言動が非常にあからさまだったことから、「いや、あれは絶対惚れてる。ストーカー一歩手前やし」という解釈で一致していたのだ。
ただ、じつはH氏には本命の彼女がいたので、どうやら自分の浮気心を自身で抑えるべく『like』やら『純粋に』という表現を使っていたと思われる。

そこで私は冷やかした。「その『LIKE』は、中の2文字『IK』が『OV』に進化(変化)していずれ『LOVE』になるやろうね」と。
この仮説を「OV進化説」と呼んだ。

しかしH氏は言った。「『like』というより『be interested in』やねん」。

そういうわけでOV進化説はあっけなく却下された。少々やるせないが、仕方がないので今回の日記を終わる。
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2005年07月25日

マスター・オブ・タケシ

その日は大学で講義を受けていた。先生が学生に質問をなげかけたりせず一方的に喋り続けるわりとオーソドックスな講義形式なのだが、学生たちは私語もなく、わりと静かだった。

そんな中、私と一緒に出席していたM内氏は授業そっちのけで一人マンガを読んでいた。私はマンガに興味がないのでそれが何のマンガだったのかは知らないが、かなり真剣に読んでいるのはわかった。

講義開始から数十分が経過した頃だっただろうか。静まりかえった講堂内に突如、男の声が響き渡った。

「マスターオブタケシ!」

はっきりそう聞こえた。声の主はM内氏だった。

やはり意味がわからない。意味を求めても本人さえ「知らん。何で言うたんやろなぁ」と、自分自身にちょっとウケていた。

ちなみにmaster of Takeshiを直訳すると「タケシの親方」という感じだろうか。しかしM内氏や私の周りにタケシという人物はいない。

まあどちらにしろよくわからないので、適当に今回の日記を終わる。
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2005年07月23日

メル友伝説

数年前、メル友がいた。相手は女ではない。日本人ではない。カンボジア人のおっさんS氏だ。
だが、ただのおっさんではない。外交官なのだ。カンボジアはまだまだ発展途上の経済的に豊かとは言い難い国だが、そんな中での外交官ということは、きっとスーパーエリートなのだろう。

何かの研修で日本に来ているところに出会い、それがきっかけで連絡先を交換することになったのだ。詳しいきっかけは外交機密なので教えられない。すまない。

その後、彼はカンボジアに帰っていったということもあり、時々メールをするようになった。メールは英語中心でやりとりをするのだが、S氏は日本語があまり得意ではないのにメールの最後に「ja kiotukete」と気を遣ってくれる。かなりイイ奴だ。

またある時、私が風邪をひいたと言うと、「私も風邪をひいた。貴方からのメールで風邪がうつったようだ。」とカンボジアンジョークも飛ばすオチャメさんぶりも発揮してくれた。

それからさらにしばらく経つと、こちらも忙しくなってきたこともありメールが疎遠になってきた。だがそんなクリスマスの日、彼はメールでグリーティングカードを送ってきてくれた。本文にあるURLにアクセスするとFlashでアニメーションが流れ出した。妙に可愛い、耳の長いマンガ的キャラクターが出てくる。のちに判明したのだが、そのキャラクターはサンリオの「 シナモン」というらしい。
おっさんなのに、外交官なのに、男同士なのにシナモンだ。イメージとのギャップに笑いそうになるのを堪えた。なんてオチャメなおもろいおっさんなのだろう。

今や残念ながら彼とのメールは途絶えてしまったが、テレビでカンボジアの話題が出たりするとS氏やシナモンのことを思い出す。いつかまたS氏と再会できる日が来ることを願いつつ、今回の日記を終わる。
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2005年07月21日

勇気ある者

小学生だったか中学生だったかの頃、休み時間に色々な遊びを考えて、実際にやったりしていた。
その中でも最もシンプルかつデンジャラスな遊びが「勇気ある者」だ。

では、遊び方を説明しよう。
目を閉じたまま壁に向かって全力で走り、任意の所で止まる。それだけだ。
補足としては、止まる場所が壁に近ければ近いほど高ポイントとなる。しかし、もちろん勢い余って止まりそびれると壁に激突し、打撲・出血は免れないという恐ろしいシステムだ。
失敗したら自動で即罰ゲーム、しかも自己責任という合理性がこの遊びの最大の魅力と言っても良い。

自分で考え出したというか、今思えばそのまんまチキンレースなのだが、あまりに危険なんで皆さんは真似をしないようにしていただきたい。

またもや回顧録になってしまったところで今回の日記を終わる。
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2005年07月20日

空の飛びかた、教えて下さい

おっさんもとうとうポエムを書きだしたかと思って見た人、すまない。私はそういうのは書かない。理由は、書けない・書かない・書かせないという非ポエム三原則を維持しているためだ。

ちなみにこのブログにおいては、記事に絵文字は使わない、みだりな連続改行はしない、下ネタは抑える、といった三原則も有しているが、それはこの際どうでも良い。

では本題だ。またまた中学生の時の話なのだが、当時私は塾に通っていたのである。その塾では意気投合した他校の友達とよく隣合って授業を受けていたのだが、ある日その友達が私のレジュメにこっそりと落書きをしてきたのである。

「空の飛びかた、教えて下さい」

何の暗号なのかよくわからない。彼も特に詩人という感じではなく、普通におもろいキャラだった。どちらかと言えば私と同様おっさん臭い。そんな彼に一体何があったのか?

一応気になったので授業が終わってから「これは?」と問うてみた。が、結局明確な回答は得られず終いであった。

ちなみに当時は1993〜1994年ぐらいであったので、スピッツの歌なんかとも関係がない。むしろそれより前の話だ。
もしかして本当に空を飛びたかったのだろうか?しかしあの時私は彼に「飛行機に乗ったらええやん」とアドバイスをしたが、彼はそういう回答を求めていない感じだった気もする。
そもそもなぜ筆談なのかもわからない。授業が終わってからでは間に合わなかったのだろうか。

謎のメッセージ「空の飛びかた、教えて下さい」を教えて下さい。

一応深く考えてはみたものの、大した意味はないんだろうという結論に達したので、今回の日記を終わる。
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2005年07月19日

酔拳2とともに

私は中高校時代、中国拳法にハマっていた。
きっかけは、中3の時に見た酔拳2という映画だ。酒に酔った動きで相手を翻弄しながら攻撃をくり出す拳法・酔拳をあますところなく見せてくれる。しかも、強い。
まあ映画なので当たり前といえば当たり前なのだが。

空中で体を回転させながら頭突きをしたり、よく若者がやりそうなダンスに似た起き上がり方(脚を大きく回転させながら両手を使って起き上がる)もする。これらのアクションに、私は魅了されてしまったのだ。

回転頭突きやダンシング起き上がりは自分でも何度か練習した。家の床がフローリングだったので多少痛い思いもした。片脚で屈伸をしたり、神戸の中華街にカンフーシューズを買いに行ったこともある。ビデオも17回ぐらい観た。

気付けば酔拳に酔っていた。いつの日か、リアルファイトに飢えていた自意識過剰な時期もあったが、今思うとやらなくて正解だった。

まあしかし、70年代の元祖酔拳に触発された世代に言わせれば、私はまだまだミーハーに映ると思う。と、少々マニアックな話をしてしまったところで今回の日記を終わる。
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2005年07月14日

検閲の定義

なぜ、このブログで急に検閲の話か。そう思った方も少なくはないだろう。じつは、私もわからない。思いつきで適当に書いている。ちなみに私は法学部出身ではないし、憲法についても大学の公務員講座でさらりとかじった程度だ。
さて、検閲の話だが、最高裁の判例によればその定義は…

「行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的とし、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを特質として備えるもの」

と、まあ判例文特有の長ったるく、なんとなくわかるような、何やらよくわからないような感じだ。こんなものを丸暗記しろなどと言われた日にゃあ、私なんぞは突如腹痛を訴え、便所に駆け込む。

しかし、この判例文・つまり「検閲の定義」を丸暗記していた後輩がいた。
大学の公務員講座の授業中、秋元康ふうの先生に「検閲の定義は?」とあてられて、上記の「行政権が〜(中略)…備えるもの」を何も見ずにスラスラと答えるのである。
恐ろしい…。彼にガリ勉のイメージは一切なく、失礼ながら見た目はどちらかというと「いかにも」遊んでそうなキャラだ。
茶髪だし、おしゃれ髭も生えている。ファッションもなかなか格好良かったと思う。
そんな彼が検閲の定義を丸暗記していたという事実には、私だけでなく教室中がどよめいた。彦摩呂風に言ってしまえば「うわ〜、六法全書や!判例のインストールや!」と、なりそうだ。

とにかくその時の彼は、男の私でさえいつも以上に格好よく見えた。女に至っては、もはや大変なことになっていたに違いない。さすがにこれは答えられないだろうと思っていたであろう秋元康も、目を丸くしながら「格好良い」と絶賛していた。

で、その日から私も一生懸命検閲の定義を丸暗記しようとしたが、三日坊主で終わってしまったことは言うまでもない。
まあ彼は法学部で憲法のゼミだからとか、今は最高裁判例よりも芦部説のほうが多数派だからとか、適当に言い訳をする格好悪い自分をさらけ出したところで今回の日記を終わる。
posted by aasa at 03:26| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 回顧録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月12日

放屁の果てに

私は人一倍屁をこく。ただ、勿論こきたくてこいているわけではない。なぜか人より腸にガスが溜まるのだ。体質なのかよくわからないが、出るもんは出る。

中学校の時は、2泊3日の修学旅行中に合計50発以上という未聞の記録を樹立したことがある。何の自慢だ。

高校ぐらいになると、中級技術の「すかし」(いわゆるマナーモード)を体得した。これを体得してからはかなり楽になった記憶があるが、技術が未熟であった中学時代にはよく失敗もした。

そう、中学1年のある日、授業中に屁がしたくなったのだ。もちろん何度か抑えようとトライを試みたが、下腹は言うことを聞かない。次第に窮地に追い詰められる私。

それにしてもこれ以上我慢し続けるのは非常にマズい。私の腸は既に、ごく僅かな刺激でさえ暴発の危険性があったからだ。

…様々な打開策を考えた結果、私は一大決心を固めた。そう、「すかし」だ。苦渋の末の決断だった。うまくいけば腸内に平和が訪れる。しかし、もしこの静かな教室内で少しでも失敗しようものなら、私の学生生活に大きな恥を残すことになってしまうことだろう。

たかだか一発の屁のために不本意に「屁こき虫」というあだ名が付けられ、友人関係が微妙になるどころかそれこそ恋愛なんて夢のまた夢に終わることとなる──。

そうなればまさに世界の終焉だ。
こういった、世界の危機的状況に選択を強いられる主人公という描写は、是非ベン・アフレックやジョニー・デップ主演、モーガン・フリーマン共演で映画化してもらいたい気もする。

と、そんなことはさておき、腸の限界はじわりじわりともうすぐそこまで差し迫っていた。

腸の限界はじわりじわりともうすぐそこまで差し迫っていた。
ヤバい…!

ある意味では、Life CardのCMで人生の分岐点に立ったオダギリジョーが選択肢カードを広げて頭を抱えるシーンに通ずるものがあったが、まあそれはどうでも良い。

しかしさすがにもうタイムリミットだ。私は、もうためらうことなく学生生活の全てを「すかし」に賭けるべく、ついに実践に移した。
神様仏様ご先祖様…!
頼れるもの全てに頼った気がする。…しかし、

「プゥ〜」

一瞬、教室内が不気味な空気に包まれた。むしろここでは空気というより屁と表現した方が適切か。

ともかく、しまった。失敗だ‥。一瞬「じつはこの音は自分ひとりにだけ聞こえたのであって、他の誰にも聞こえていない」という幻想というか半分願望のようなものを信じてみたくなったが、改めて冷静に事態を分析してみるとどうやら現実であることには間違いなさそうだ。
つまり、この状況下においてはさすがに誤魔化しきれない…

案の定、次の瞬間教室はざわめき出し、男子女子問わず軽蔑の眼差しが一斉に私のあたりへと向けられる。まるでSWATに包囲された犯人の心境だ。

最悪だ。マズい。非常にマズい。

と、その時、ある妙案が私の頭をよぎった。私の後ろにはS川君がいる。そうだ、S川がしたことにしよう!

S川は身体が大きく、その風貌から「ゴリラ」というあだ名がついており、少々女たらし癖のあるお調子者的キャラであった。彼がやったことにすれば、みんな違和感なく彼の犯行であると信じ込むに違いない。私は確信した。

「おいやめろやS川〜」

私は早速、後ろに振り返りS川をやじった。屁の音が出た瞬間からこのアクションまでわずが2〜3秒だったと思う。我ながら絶好のタイミングだ。
ただ正直、罪悪感もあった。だがそれよりは後でこっそり謝って許してもらおうという、都合良く正当化したいという気持ちの方が強かった。

当然、キョドるS川。
「えぇっ?俺ぇ?」

無理もない。彼には罪はもちろん、疑われる理由などといったものは何一つないのだ。ただあるとすれば、前回の席替えで運悪く私の真後ろの席になってしまったことであろうか…。

しかしみんながS川の方を怪訝な表情で見ている。正直、もちろんこのうちの何人かには私がやったことはバレバレなのだろうが、ひとまず大恥をかかずに済んだという点では作戦成功だ。

しかしながら、S川君に赤っ恥の濡衣を着せてしまったことはやっぱり反省している。もう十数年経つが、あの時は本当にごめんなさい、S川君。と、懺悔をしたところで今回の日記を終わる。
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2005年07月06日

サラ金病

どういうわけか、私は消費者金融(いわゆるサラ金)会社にハマっていた時期があった。といっても、借金をしていたわけではなく、うまく言えないが純粋にサラ金会社について異常な興味を示していたのだ。

お気に入りの会社はアコム。ただ別に小野真弓に惚れたとかそういうわけではなく、むしろこれは彼女がCMに登場するよりずっと前の話で、当時の私は高校生であった。

それはちょうど無人受付機「むじんくん」が登場した頃。私はとりつかれたように日々アコムの株価をチェックし、チラシやティッシュを集めまくった。新聞広告はスクラップにすらした。

高校の遠足でちょっと離れた駅に着けば、真っ先にその駅前にむじんくんがあるかどうかを確認。あると全身が身震いするというか、何とも表現しがたい妙な興奮状態に陥り、本屋をうろついてる時に醸し出る特有の便意をもよおしたりもした。

今考えれば、マジで病気だったとしか思えない。

そんなわけのわからない高校生活を長々と振り返ったところで、今回の日記を終わる。
posted by aasa at 19:20| 大阪 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 回顧録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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